【No.】 440
【ストレッサー】 いよいよ日本とのお別れ
【内容】 実家の玄関で母と祖母に見送ってもらい、次はいつ帰ってこれるかわからず、刑務所にでも行くような気分になる
【分類】 D 仕事
【効果】 ★★★★
【対処法】 新築マンションというニンジンを目の前にぶら下げて、帰国した時は必ず買うぞという強い気持ちで働こうと決心する
【ストレッサー型】 4 モンモン未来不安型
【解説】会社では歓送会をやっていただいたと思いますが、今となっては全く記憶に残っておりません。小生とは気心の知れた人たちから温かい言葉をかけられたような気がしますが、何一つ覚えておりません。
小生としては懲役3年で刑務所にでも入るような心境でした。唯一異なるのが、給料が2か所からもらえるということでした。マンションというニンジンを目の前にぶら下げることを試みて、帰国したら新築マンションを買うぞという気持ちになっていました。
赴任日の2日前に、運送会社に来てもらい、エアコンの取り外し等の工事も含めて、家財道具一式をトランクルームまで運んでもらいました。別途、身の回り品は段ボールで3箱を航空便で駐在事務所宛に送付しました。
部屋が空になったところで、再度掃除をして不動産屋に鍵を返却しました。敷金2カ月分約14万円の返却について尋ねてみたところ、大家さんがすぐには次の人に貸さないということで、時間がかかるかもしれないという回答でした。
カーペットが10万円と聞いておりましたが、パイプベッドの4本の足跡がくっきりと残って元には戻りませんでした。恐らく、カーペットの交換が必要と思われました。連絡先として母の実家を案内しておきました。
その日の夜は母の実家に泊まりました。翌日の午後の出発になりました。ノートパソコンはジェラルミンケースに入れて、ショルダーバッグと大型のスーツケースの3つになりました。スーツケースの中にプリンターを入れましたが、半端ではない重さに感じました。
母はすっかり観念したのか、実家の玄関まで祖母といっしょに見送りをしてくれました。母は祖母に説得されてしかたないと納得してくれたようでした。そのかわり、会社負担で年に1回一時帰国できる制度がありましたが、それでは少ないと、年に3回は帰ってこいと言われてしまいました。
ここで断ると揉めてしまうので、「うん」と返事をしたような記憶があります。小生からは弟と合わなかったので、海外赴任のことは知らせませんでしたが、母も話さなかったようでした。次にいつ帰ってこれるかわからない実家を背に旅立ちました。母が泣いていたら気になってしまうので、振り向くことはしませんでした。
現地には夜に着く便でした。事前に現地の管理部長から出迎えが必要かと電話連絡がありました。夜は機内食が出るのと、わざわざ空港まで来ていただくのは恐縮だったので、丁重にお断りをしておきました。空港からタクシーでホテル名を告げれば問題なく着くことができると言われました。
航空券はJALの往復チケットでしたが、帰りの便は現地でキャンセルするとのことでした。空港ではスーツケースの重量が26キロと計量され、超過6キロ分については航空会社と小生で折半で負担という交渉で約15000円の超過料金を取られてしまいました。この金額は管理部長の計らいで後に会社負担にしていただきました。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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