【No.】 98
【ストレッサー】 パチンコできないトラウマ
【内容】 パチンコ屋の前を通ると、パチンコができなくなったトラウマを思い出して嫌な気分になってしまう
【分類】 E 身近な出来事
【効果】 ★★★
【対処法】 パチンコ屋を見ないように避けて通る
【ストレッサー型】 2 オドオド自信喪失型
【解説】 小学校5年生の頃、小生の記憶の中では周囲には「パチンコのプロ」と自称する、パチンコで生計を立てている人たちが大勢いました。親戚にも何人かいて、小生は本気で将来はパチンコで生計を立てようと夢を見ていました。そこで、小遣いを貯めてパチンコの中古台を購入し、ひたすらパチンコのテクニックを磨いておりました。
テクニックも上達して、これならば「パチンコのプロ」として生きていけると絶対の自信を持って臨んだ、約7年後の18歳の誕生日に初めて本物の台で勝負をしました。結果から言うと完敗でした。台が変わると勝手が全く違うようで、今まで磨いてきたテクニックが全然役に立ちませんでした。「この7年間が全く無駄な努力になってしまった」というショックから、それ以来パチンコをすることは2度とありませんでした。
本当のことを言うと、パチンコが好きで好きでたまらないという欲求を、何とかその欲求を封印することでうまくバランスを取っているのかもしれないのかなと思いました。だから、パチンコ屋の前を通る時は嫌な気分に襲われてしまいます。
それにしても、最近はパチンコで生計を立てているという人をあまり聞きません。Wikipediaを見ても、パチプロになろうとしても、実際になれる者はごくわずかで、現実には時代とともにパチンコ台の法規制や出玉性能の低下などから、純粋にパチンコの獲得金だけで生活をしていくことは難しくなってきているということです。
小生の小学生の時の記憶では、結構な人数のパチプロがいたはずです。ただ、パチンコ屋店内で子どもの小生が横で様子を見ていましたが、パチプロを自称する親戚は、勝って景品をたくさんもらって帰ってくる光景はほとんどなく、負けが込んでくると周囲もみんなパチンコ台を叩いていました。
今は大人目線で考えてみると、本当はトータルでは損をしているにも関わらず、負けた時のことを忘れて勝った時の印象が強く残っており、「自分は儲かっている」と認知の歪みである拡大解釈を周囲の大人たちはしていたのかなと想像できます。
あるいは、自らのギャンブル好きを正当化するための「ウソも方便」だったのかもしれません。今となってはもう昔の話で、確かめる術はありません。ただ、その親戚たちは、パチンコが本業ではなく、定職についてしっかり真面目に収入を得ていたことは間違いありません。純真な子供にウソをついたらいけません!!。小生の子どもの頃の最大の失敗について書いてみました。
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