【No.】 139
【ストレッサー】 定年まで帰国できない会社
【内容】 海外工場がある会社の採用面接で、2~3年ならば海外勤務可能と言ったが、定年まで帰ってこれないことを知る
【分類】 D 仕事
【効果】 ★★★
【対処法】 社内に海外勤務希望者が誰もいないことに愕然としたが、後釜を見つけないと帰れないのなら海外勤務はお断りしようと考える
【ストレッサー型】 3 クヨクヨ過去悔恨型
【解説】 今から20年ほど前の話です。とある製造業の会社に就職することになりました。仕事は事務職ですが、海外に主要な生産工場があり、面接試験では海外勤務の可否について聞かれました。2~3年という期間であれば将来的にはかまいませんと言ってしまいました。それが採用合格の決め手になったことを知ったのは入社してからでした。つまり、将来の海外勤務を前提に採用されたということです。
直属の上司である部長からは、いきなり海外勤務は大変だろうから、2~3年は日本国内で仕事を覚えていただきますということでした。そして、各部署の責任者に対しては、将来の海外工場の勤務候補者ということで次々と紹介されていきました。『海外勤務といっても2~3年で帰って来られるのだろうからいいや』と心の中ではつぶやいていましたが、考えが甘かったことを後に知らされました。
仕事にも慣れて、海外工場にも何度か出張で行き、いろいろな人たちと親しくなりました。そして、「海外工場に行ったら定年まで帰ってこれませんよ!! 自分から海外工場に行くなんて言わない方がいいですよ」と教えてくれる人がいました。なぜならば、社内で誰も海外工場に行きたい人がいないからでした。
海外工場の部長も「うちの会社の海外勤務者は、日本に帰りたい場合は後釜を自分で探さなければならないのですよ。多分見つからないだろうから、その時は辞めることになる」と言っていました。
2年ぐらい経ってから、その海外工場の部長と小生の直属の上司の部長がほぼ同時期に退職という驚くようなことが起こりました。噂では、二人とも同業のライバル会社に入社したということでした。社内でもキーパースンの部長二人がいなくなった穴は非常に大きく、この会社のその後の凋落の序章になるような出来事だったのかな、と今になって気がつきました。
採用時の直属の部長が辞めたことで、自分から海外工場に行きたいと言わない限り、小生の身は安泰なのかなと思いました。しかし、その時はまだ、この後に起こるもっとひどい仕打ちを知る由もありませんでした。(つづく...)
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