ストレス解消法のブログ

ストレスの対処法(コーピング)を毎日紹介します。

No.274 ストレス対処法 帰国日にマンション購入

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No.】 274

【ストレッサー】 帰国日にマンション購入

【内容】    帰国日に賃貸マンションよりも新築マンションの方が気になり、一生の買い物をたった1日で決めてしまう

【分類】    E 身近な出来事

【効果】   ★★★★

【対処法】  売主の不動産屋は経営が心配だが、銀行と提携して頭金の保全がされているし、子どもの頃からの夢がかなったのでよしとしよう

【ストレッサー型】 4 モンモン未来不安型

 

【解説】 海外駐在が2年と1カ月となりましたが、その間、会社負担で日本帰国が3回ありました。それ以外でも格安航空券で往復5万円ぐらいだったので、有給休暇を使用した自己負担3回の合計6回帰国しました。帰国期間は、母の実家で寝泊りをしました。

 

 海外赴任前に別れた彼女は、別れた1年後にどうゆう訳か、母の実家にお土産持参で訪ねて、小生のマンションの電話番号を教えてもらって国際電話を架けてきました。小生としては彼女とそれまでに3回別れた記憶がありますが、彼女の言い分は別れた認識がないと言い張っていました

 

 過去には喧嘩の後、2年も音信不通となり、小生としたら完全に別れたと思っていたのが、彼女の方から突然電話を架けてきて、恥ずかしながら焼けぼっくいに火が付いた経験もありました。気が強すぎて勘弁して欲しいと何度も思ったのですが、本当に不思議な女性です。

 

 離婚しない結婚ということを考えたら、彼女でいいのかなと思い、帰国直前に何と入籍をしたのです。魚好きの次女乙姫)の女性です。生活困窮な少年時代でしたが、やはり、「大人になったら結婚したい」と夢を持っていましたが、その夢がかなうことになりました。

 

 お金がそこそこ貯まっていたので、妻に結婚式をあげるか、マイホームを買うか訊いたことがありました。彼女の両親は若い時に既に他界して、さらに姉も亡くして、彼女ひとりで生きてきたこともあり、結婚式披露宴よりもマイホームが欲しいという選択をしました。

 

実際はもっと大きなマンションです。

 

 日本帰国日は、早朝に成田空港に到着しました。賃貸マンションが決まるまでは、母の実家で寝泊りする予定でした。新しい職場出勤まで後1週間とせまっていました。午前中に本屋さんで住宅情報誌を購入しました。名前は忘れましたが、電話帳ほど分厚くて賃貸物件と新築物件と分かれて掲載されていました。

 

 賃貸物件から探すのが筋かもしれなかったのですが、新築マンションの購入物件の方から見てしまいました。頭の中で候補地があり、子どもの頃から「〇〇駅を庭にしたい」という大きな夢を持っており、それにかなう物件が1件ありました。モデルルームがあるとのことなので、早速、その日の午後にモデルルームを見に行きました

 

 モデルルームを見て、実際に購入したい3LDKのタイプの部屋とは違いましたが、イメージが湧いてくるのには十分でした。何と一生の買い物と言われているマイホームを、その場で決めて仮契約書を取り交わしてしまいました

 

 妻はその時に地方に出張中でしたので、マンション購入を電話で伝えました。妻は驚いていましたが、高所恐怖症なので、もう少し下の階がいいというリクエスがあったので、翌日に不動産屋に連絡を取ったら変更可能と言われました。

 

 賃貸マンションは母の実家の最寄り駅にある不動産屋で見つけました。母の実家から徒歩3分程の場所にあり、駅からも徒歩5分でした。家賃は1LDKで8万円くらいでした。家賃は自己負担ですが、敷金、礼金、不動産手数料は会社負担でした。

 

 新築マンションが完成するまで約1年間の仮住まいでした。トランクルームに預けていた小生のシングルベッドはLDKに置き、妻は6畳間で布団を敷いて寝ることになりました。夕食は母の実家で取ることになりました。

 

 ひとつ気になったことがありました。売主である不動産屋は初めて名前を聞く、ローカルな中小企業でした。大金の頭金を渡して大丈夫かという不安を払拭するように、「頭金は提携銀行の指定口座に振り込んでいただければ、万一、当社が倒産しても、お客様の頭金は最優先に保護される契約を弊社と銀行間で締結しています。」とのことでした。

 

 確かに、不動産屋が倒産してしまったら、せっかく貯めたお金がなくなってしまう可能性があることを改めて認識をしたのでした。メガバンクがしっかり保全してくれるのなら安心していいかもと思いました。そのかわりにそのメガバンクに口座を開設してほしいとリクエストされました。(その不動産屋はマンションが完成した3年後くらいに倒産しました

 

 その後、マンション建設の工事が始まって、何回か妻といっしょに途中経過を見にいくことがありました。ところが、その年の11月だった記憶がありますが、全財産を預けていた大手証券会社が、自主廃業をすると社長が泣きながら発表をして冷や汗をかいたことがありました。中期国債ファンドあたりで運用していたような記憶がありますが、幸い全財産が返却されましたペイオフが採用されていたら、大変なことになっていました。(つづく)

 

いつもお読みいただきありがとうございます。