【No.】 267
【ストレッサー】 4歳の時の悲しい思い出
【内容】 3歳までの記憶は一切覚えておらず、4歳の時に起こった悲しい出来事の思い出を3つ鮮明に覚えている
【分類】 E 身近な出来事
【効果】 ★★★
【対処法】 4歳の時のその悲しい思い出が、当時はわからなかったことが大人になってからわかることがあり、自己理解に役に立っている
【ストレッサー型】 6 ムカムカ関係誤解型
【解説】「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。ここでいう「三つ子」とは、双子、三つ子の三つ子ではなく、数え年で3歳児のことを指します。満年齢では2歳ぐらいまでの口唇期にある幼児を意味するようです。そのような時期に表れた性質は、いくつになっても変わらないという意味になります。
ところが、小生にとっては、そのような性質がどのようなものだったかの自覚がないのと、2歳と3歳の頃に起きた出来事の記憶が全くないのです。ようやく4歳になってからの記憶が3個残っているのですが、いずれも悲しい出来事でした。
❶4歳秋:母にひどく叱られた記憶
当時住んでいた母の実家の近所の子どもたち5、6人といっしょに地元の主催する運動会に参加した記憶が残っています。誰かの保護者も同伴していたと思いますが、母に内緒で行ってしまい帰ってからひどく叱られてしまいました。近所に国道があって、運動会会場に行くには国道を渡らなければならず、母から危ないからと日頃から渡るのを禁止されておりました。
大人がいっしょで安全だったのですが、そのことをうまく言えなかったのです。ちょうど三叉路になっており、歩行者用信号が青信号でも、歩車分離式信号機ではないので、左折の車がやってくるので、確かに幼児にとっては危ない横断歩道でした。
運動会の思い出としては、4歳児同士の徒競走がありまして、小生は2着の人に大差をつけて1等賞を取ってノートの景品をもらった記憶があります。恐らく、フライングでもしたのかもしれませんが、4歳児にはそんなルールは理解できないので、そのまま1等賞にしてくれたのかもしれません。
❷4歳冬:母号泣の記憶
母が祖母とふたりで話しながら号泣していた記憶があります。その時は理由については全くわからなかったのですが、その時期に母が妊娠6カ月で幻の妹を流産してしまった時期と合うことが判明しました。母が風邪をひいてアンプル式(密閉されたガラス製小瓶)の風邪薬を飲んだことが流産の原因だったと聞きました。
本来であれば、妊娠12週以降は死産届が必要であるにも関わらず、父は全く無視したそうです。死産届を出さずに、九州にある父の実家の墓に、無断で墓石を勝手にずらして納骨したという話でした。
❸4歳春:母に置いてきぼりにされた記憶
4歳の時に父が家を建てて母の実家から引っ越しをしました。母の実家には母といっしょに時々遊びに来ていましたが、小生が置いてきぼりに遭い、母がひとりで帰ってしまいました。ちょうど、祖母におもちゃ屋さんに連れられ、観覧車のおもちゃを買ってもらった間に起きた出来事でした。
母の実家に帰るや否や、母がひとりで帰ってしまったことに気づき号泣したのを記憶しています。祖母は観覧車のおもちゃを動かして小生の機嫌を取ろうと必死だったような気がします。小生が5歳の冬に弟が誕生したのですが、その日の夜は、小生がいたら都合の悪い日だったんだと大人になってから気づきました。
小生は4歳時の3つの悲しい出来事が最初の記憶として今も残っております。皆さんも自分の最初の記憶は何歳の時の何の出来事だったのかを思い出してみるのもいいかもしれません。
自己理解のために役に立つかもしれません。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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