【No.】 323
【ストレッサー】 カサンドラ症候群だった?
【内容】 子どもの頃の家庭での嫌な思い出は、トラウマになっているくらいひどいもので、傷ついた心が未だに残っている
【分類】 E 身近な出来事
【効果】 ★★★
【対処法】 「カサンドラ症候群」という言葉が、自己理解を深めて原因が特定できたことで、前向きに生きていこうと考えてみる
【ストレッサー型】 6 ムカムカ関係誤解型
【解説】 小生の子どもの頃の嫌な家庭での思い出は、トラウマになっているくらいひどいものでした。最近、「カサンドラ症候群」という言葉を知り、もしや小生もそういう状態だったのかもしれないと余計なことばかり考えてしまいます。
「カサンドラ症候群」とは、パートナーあるいは家族など身近にいる人が原因で、コミュニケーションや感情的な人間関係を築くことが難しく、適切な意思疎通を図れないストレスから、うつ病や不眠症、あるいは抑うつ状態などといった症状が起きている状態を指す言葉です。
小生の場合は、父が目の前にいると、いつも抑うつ状態になっておりました。母は毎晩のように泣いており、不眠症を発症していたような気がします。父にはコミュニケーションと対人関係と物事への執拗なこだわりに問題があったような気がします。他人からは変わり者と見られていました。
小生18歳までの記憶上の父の特徴
❶父とは表面上は問題なく会話ができていたが、その会話の奥にある小生の意図を読むことが苦手だったように思われた。特に曖昧な言い方だと理解が難しいみたいで、明確な言葉を使用しないと理解してくれなかった。
❷冗談を言っても通じないで、本気になって怒っていた。
❸会話をしていて、父自身のミスや間違いが明らかであっても、他人やモノのせいにして、父は自分の誤りに全然気づいていないように感じられた。
❹未来のことが具体的にイメージができないみたいだった。たとえば、知人や親戚の人たちから、「このままだと奥さんと子どもたちにソッポを向かれて、ひとりぼっちになってしまうよ」とさんざんアドバイスされても理解できないようだった。
❺場の空気を読むのが苦手で、友人の娘の結婚式の仲人として、お祝いの歌で「鳩ポッポ」を歌ってしまった。
❻母や子供たちの気持ちを理解できないようで、愛情が全く感じられなかった。
❼お店で順番に人が並んでいるのに、割り込んで社会的なルール違反をしていたり、小学生低学年の頃、子供料金の切符が必要なのに買ってくれず、駅の改札で父はさっさと入ってしまい、小生は他の乗客の後ろからこっそり入る無賃乗車を強要されていた。
❽自己中心的で、自分の自慢話ばかりでマウントを取るので、対人関係をうまく築けなかった。近所づきあいが苦手で友人がひとりしかいなかった。
❾相手を平気で傷つけたり、自己中心的と思われる暴言を吐いていた。(人の気持ちがわからない人で、共感を知らなかった可能性がある。)
❿テレビのチャンネル権を握って自分の好きな番組しか見せなかった。2階の古いテレビで母と弟とドラマを見ていると、ブレーカーを落として見られないようにする嫌がらせを繰り返していた。
⓫夏場は家の中では、外から丸見えなのにパンツ一丁の裸で過ごしていた。
⓬食べ物を自分が最優先だと、異常なほどのこだわりがあり、残飯を家族の者に食わせていた。
⓭養育費がかかると、日記に子供ごとにかかった金額と内容をこまめにメモしており、子どもが大人になったら請求するつもりでいた。
⓮臨機応現な対応を極端に苦手にしていた。たとえば、学校の先生が家庭訪問時は、いつも逃げていた。一度だけ玄関でバッタリ会った時には、慌てた表情で「わたくしは〇〇の父親であります。」と軍隊調の挨拶を先生にしていた。
結局、小生が18歳の時に家出をし、母と弟も続けて家出をすることになりました。今振り返って考えてみると、父と離れることで、母も泣かなくなって明るさを取り戻し、「カサンドラ症候群」の苦しみから逃れることができたような気がします。
知人や親戚の人たちから、「このままだと奥さんと子どもたちにソッポを向かれて、ひとりぼっちになってしまうよ」と、さんざん父は言われていたにも関わらず、現実になってしまいました。
今となっては父は亡くなっており、30年以上も交流が全くなく、実際の父の症状が何だったのか確認のしようがありません。ただ、小生の記憶の中には、黒歴史化した嫌な思い出とともに傷ついた心が未だに残っております。
しかし、子どもの頃には知らなかった「カサンドラ症候群」という言葉が、自己理解を深めることにつながったのかなという思いがあります。今となっては仮説に過ぎず証明できませんが、そう考えることで、すべての辻褄が合うことになり、原因が明確になったかもしれないということで、前に進めそうな気がしています。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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