【No.】 249
【ストレッサー】 実はかなづちなのです!!
【内容】 泳げない母の影響で、子どもの頃から水泳が苦手で「かなづち」に近く、水泳の授業が大嫌いだったことを思い出す
【分類】 E 身近な出来事
【効果】 ★★★
【対処法】 水泳が苦手という欠点は、水泳をしなければ他人には欠点と知られないので、このような考え方はいろいろと応用できると気づく
【ストレッサー型】 2 オドオド自信喪失型
【解説】 母は心配性なところがあり、心配に感じると一切させないという徹底ぶりでした。母は水泳が全くダメで、子どもの頃、海やプールには一切連れていってくれませんでした。なので、小生は泳ぎを全く知らないまま育ってしまいました。
小学校のプールの授業では、4年生の頃は全く泳げないので、プールのスタート地点からゴール地点までひたすら歩くのみでした。
5年生の頃は、担任の先生は泳ぎが得意な方で、いろいろと教えてくれて浮き方を覚えたり、バタ足ならば10メートルぐらい泳げるように上達しました。しかし、息継ぎの仕方がわからず、クロールができませんでした。
そして、6年生の時の夏休みに、小学校のプールで水泳教室を開催するということで、申し込むことにしました。ところが運悪く、夏休みの直前に馬跳びで肩から落ちて右鎖骨を骨折してしまいました。上半身グルグルとギブスで固定されて、水泳教室には参加できませんでした。
今思うと、これが一生に一度のチャンスだったのかもしれません。その水泳教室に参加した人が、実際に泳げるようになった姿を見て、羨ましいと思ったものです。骨折してしまった自分を惨めに思いました。
中学生の時は、体育の先生が水泳は嫌いということで、3年間プールの授業が全くなくてラッキーでした。その体育の先生は泳げないと噂になっていました。一方、女生徒の方はプールの授業があったので、噂は本当なのかなと思っていました。
高校1年の時は、何とかプールの授業は見学ということで逃げ切りました。ところが、高校2年の時は、新人の先生で全員平泳ぎ25メートルさせるぞと張り切っており、やらされました。
水泳のセンスが全くない上に、平泳ぎの仕方を先生が教えてくれる訳でもなく、実技試験をやらされました。飛び込みはうまくできたのですが、平泳ぎがうまくできずに、5メートルも泳げずに立ち上がりました。平泳ぎ25メートルできなかった人が何人かいたので、それほど恥かしくはありませんでした。
高校3年生の時は、体育の先生が自ら泳げないと公言してくれて、水泳の授業がなかったのでよかったです。
大学生になると、体育は球技を選択したので、大人になってからは水泳とは全く無縁になりました。プライベートでも、海やプールに行って泳ぐなんていうことは一度もありませんでした。
水泳が苦手という欠点があっても、水泳をしなければその欠点は誰にも見えないのです。小生には、水泳以外にも苦手なことはいくつかありますが、その苦手な欠点であることをしないという選択で、その欠点が誰にも知られないという考え方は、結構役に立つのかなと思った次第です。今後、いろいろと応用できそうです。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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