【No.】 383
【ストレッサー】 思わぬ片道2時間の通勤
【内容】 自宅から片道2時間の店舗に人事異動となり、通勤が大変だと思ってしまう
【分類】 D 仕事
【効果】 ★★★
【対処法】 朝の電車乗車時間の半分は下り電車で空いており、座って通勤できるので、読書などが楽しめると考えてみる
【ストレッサー型】 5 ヘトヘト疲労困憊型
【解説】就職できたのはリクルートのおかげで、ブラック企業退職からわずか2カ月間で決まりました。勤務地は都心の駅の目の前にあり、自宅アパートから1時間15分ほどでした。その量販店は2店舗構えており、小生の勤務先は支店の1階になりました。
ほとんど研修を受けずに即戦力として、店頭に立たされてお客さんへの商品の販売をしました。ブラック企業で経験した、店頭の応援で店員のふりをしての販売体験が役に立つとは思いませんでした。売場には販売員が7人おりましたが、社員は売り場主任と小生のみで、残りの5人はメーカーからの派遣された販売員でした。
このお店でもお店の販売員のふりをしたメーカーの看板を背負った人が販売している不思議なことが起こっていました。これは当時の業界の習慣なのでしょうが、彼らの給料は全額それぞれ紐づいているメーカーが負担していました。
お客さんの目線では、全員がお店の販売員に見えていると思うので、勧める商品が、まさかその人の給料の出ているメーカーだとは夢にも思わなかったことでしょう。彼らの給料は、人やメーカーによって違いますが、小生の倍以上の月給が50万円という人もおりました。そんな裏話が聞けてしまうほど、小生は各メーカーの派遣販売員の人たちと仲良く仕事をすることができました。
ちょうど年末の時期でもあり、11月、12月と1月の3カ月間は書き入れ時で、小生ひとりだけでも売上が月に500万円以上にもなりました。店舗は10時開店で20時閉店で年中無休でした。実勤務は9時半から18時半までで、残業は交替でしていました。
正月3が日に出勤すると、店舗の営業時間が18時まででしたが、1日あたりお年玉が現金で5000円支給されました。3が日働くのは初めての経験でしたが、15000円もらったことで奨学金の返済が1月だったので、その足しにしました。
しかし、1月15日を過ぎると、店舗の売上が急にガクンと落ちてしまいました。小生の売上も落ち込んでしまいました。そんな日々が続いたある初夏の頃、新しい店舗が開店するということで、そちらの部署に異動することになりました。
店舗の予定地は中央線沿線で、小生の自宅アパートからは、片道で2時間もかかる距離にありました。朝のラッシュ時は、中央線快速電車では下りだったので座れました。店舗ができるまでは、支店の4階に事務所を構えて研修などを受けました。
具体的にはOA機器を訪問販売する店舗でした。既に大手の会社が進出している業界で、二番煎じのような内容でした。シェアナンバー1を取りたいメーカーの全面的なバックアップを得て派遣社員も3人出向してきました。
会社からは、店長と副店長を始め、計11人のメンバーになりました。研修期間中は和気藹々とうまく人間関係を築くことができました。栃木県にあるメーカーの研修センターにも2週間ほどOA機器の研修がありました。
約半年間に及ぶ研修期間が終わって、いざ開店してみると、店として大変な苦戦を強いられることになりました。商品が全然売れずに、その後の出来事については、下記ブログで記載しています。
No.83 飛び込み営業の悪夢
yuyakekoyakeakatombo.hatenablog.com
いつもお読みいただきありがとうございます。
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